2011年8月10日水曜日

8/10『日本一のMSを目指して』岐阜市倫理法人会

おはようございます♪
今朝は岐阜市倫理法人会のモーニングセミナーに参加してきました。

現在活気のある豊田市南倫理法人会の
専任幹事である下村さまの話しでした。

ご本人さまに了解を戴きましたので
久しぶりにあきみつメモを共有しマッス♪

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豊田市南倫理法人会
下村修功 専任幹事


岡崎
発達が遅く発育機で暮らす
学校に進学するも、先生の云う事が理解できない。
運動面も皆に追いつけない。
1年生から6年生迄苦痛の毎日。
発語もしっかりと話せず、いじめの対象に。
3年生迄言葉発話しない毎日。

そんな3年生の授業参観の日
事前に先生が決め、皆で教科書を読むはずが、
読めなかった。

特殊学級に在籍する事もあった。
同級生はみな自分をいじめる中、
両親は唯一自分を守ってくれる優しい存在。
父42歳で末期がん発病。
1週間で他界。

いままで自分を守ってくれていた父が亡くなり、
それを機にいじめられっこからいじめっ子に。
ついたあだ名は「狂犬病」

父の経営していた会社は、母が継ぐ。
父が亡くなる事で今迄お付き合いがあった方、
取引業者などがどんどん離れていく。

大人をどんどん嫌いになっていく。
人を嫌いになっていく。

生活はどんどん厳しい生活になる中学時代。
母親、弟と3人で30分歩いて
1杯のスガキヤラーメンを分けて食べてあっていた。
「一杯のかけそば」の話しを初めて聴いたとき、
自分の家族を題材にして書かれたのかと思いました。

米を買うのにも小銭をかき集めて何百何十何円
『これだけの分でお米下さい』と買う。
そんな状況でも母は笑顔を絶やさなかった。

悲運な境遇に、悲劇のヒロインと自分は思っていた。
来る日も来る日も喧嘩に明け暮れた。

中学2年のとき、
いつも自分たちの目の前でニコニコしていた母が、
家の裏で涙を流して泣いている姿を目のあたりにした。

『自分はなんて小さな事をやっていたんだ』

それから喧嘩はいっさいしなくなった。
小学校1年生の教科書を引っ張りだし、
勉強し直す。1日10時間。毎日勉強した。

周囲からあれだけ『無理だ!』
とされた公立高校に見事合格。
野球部に入った。

野球では県内名門の高校野球部。
上下関係がきびしい。
先輩は厳しい、同級生からも自分の不出来にボコボコにされる。
そんな状況な中でも
母を悲しませたくない一心で一生懸命部活動に励んだ。
マネージャーとして甲子園を経験。ベスト8に。

そんな高校時代、
ネット裏で一人のおじさんがいつも野球部を見に来ていた。
人生の師となる磯村清さんとの出逢いである。


高校3年の時、磯村さんが、
『なんで、君はいつもレギュラーでもない、野球も出来ないマネージャーなのに
ニコニコ楽しそうに出来るんだ?私には理解ができん。』
『うちの会社に入りなさい』

磯村さんの会社は、
ボイラー・ポンプ・水処理システムの会社。
社訓「お客様の喜びを我が喜びとする』

■お客様の呼び出しにも「すぐに向かいます」
お客様が困っているのだから、理由はいらない。すぐに向かえ。

■机の上を奇麗に:スタッフの精神状態がわかる。
誰よりも早く会社に出て、誰よりも遅く会社から出る。
社員は全てを話してくれる者ではない。経営者がいち早く察知してあげるもの。

■おしゃれと身だしなみの違い。
おしゃれは自己満足、身だしなみをするは社会人。
誰の為に何をするのか?

私はそんな磯村清の為に働きたい。と思った。

そんなある日創始者の磯村清がガンで他界。
その次を継いだ社長は創始者の志、理念をはずし、
技術第一、お客様をランク付け。
会社に対し、利益のある優良お客様のみ対応し始めた。

そんあ会社とは意見が合わなくなり離縁。
磯村清の想いを継ぐと発起し、自社を興す。

「すぐに潰れる。」と周囲の評価の中、
磯村清に教えていただいた、
一軒一軒訪問して回った。

倫理と出逢う。
万人幸福の栞には磯村清の想いが詰まっていた。
「自分の会社は絶対潰れるはずがない」と涙した。

私がやってきた事は倫理だった。
倫理経験は3年ですが、
倫理実践は20年。
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倫理を通し、高校3年になる息子から教わった。
息子も高校野球をやっている。

ある日 息子は、
『野球をやめたい』
『髪の毛を伸ばしたい』
そんな息子に悩み、
法人レクチャラーに倫理指導を受けた。

『子は親の鏡。子供には半分父親の血が流れている。
あなたは野球好きでしょ?その血は息子さんにも流れているんですよ。
あなたは口うるさく言い過ぎてませんか?息子さんを信じてますか?
息子を信じて、見守る事も大切』

そう指導を受け、
すぐに息子と妻に告げた。
『本当に野球が嫌なら野球やめてもいいからな』

しばらくして、
『やっぱり野球がやりたい。
髪の毛のばして、遊んでみたけど、
やっぱ野球がやっている事が楽しい』
と息子が伝えてくれた。

3年になった最近では、
『お父さん、
俺やっぱりもっと一生懸命野球やり続けとけば
もっと上手くなれたと思う。
その時はわからんもんやな』

息子から一時の感情や判断で止めるのでなく、
続ける事の大切さを教えてもらった。
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最後迄お読みいただきありがとうございました♪
今日も笑顔を伝える応援団♪
やまだあきみつ

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